昨夜も寝汗びっしょり。
この間は「恐怖心がマシになった気がする」と書いたけど、今はますます恐怖が強くなった気がする。
何に対して、わたしが恐れているかと言うと、それは『死』で、ポジティブになる努力をしても、なお恐怖に襲われる。
そんなわたしに、ハイヤーセルフの助言なの?どうかはわからないけど、救いの手を差し伸べてくれた。
「ありがとう」と言いなさい、って。
1000回だっけ?10000回だったか?ある回数に到達すれば、いい方向に現状が変わるって、小林正観さんが言っている動画をみたこともあって、そのときは聞き流していたけど、頭の中にはしっかり残っていたんだね。
最初は、恐怖の真っただ中にいるのに、ありがとうなんて言えるわけがないと抵抗があったけど、何も考えないようにして何度も何度も「ありがとう」を繰り返してみた。
すると、次第に気分が静かになって、いつの間にか恐怖で寝汗びっしょりの夜も、眠りにつくことができた。
そして、また恐怖で目が覚めてしまったから、またありがとうを沢山言ってみた。
朝起きると、何だかすっきり楽になっていた。
死についての、とらえ方も変わった。
いきなり変わったんじゃなくて、だんだんにね。
たった一人の兄は、2014年に59歳という若さで突然死して、いなくなちゃったから『終わり』って感じて恐かったけど、兄の魂は生き続けていると確信した。
最愛の母は、2018年に90歳で天国に召され、やっぱりいなくなっちゃったから『終わり』って感じて悲しすぎたけど、兄と同じとうに魂の世界で生き続けている。
肉体は滅びても魂は永遠だと確信した。
いつかは必ず滅びる物質的な肉体に、わたしはフォーカスしていたから「恐怖」だったけど、永遠の魂は滅びることがないから、そっちにフォーカスすれば「恐怖」ではなくなる。
しかも、魂は、光と愛のエネルギーだから、どこかのスピリチャル動画サイトで言ってたけど、人は死ぬとき(肉体から魂がはなれるとき)、魂は光と愛のエネルギーだから、とてつもない幸福感に包まれるんだとか。
きっとそうなんだと思えるようになったら、ここだけの話、宇宙に死まで任せられるようになった。
現実があまりにも過酷だったら、わたしを死なせてくださいと、誤解を恐れずに言うと宇宙に願えるようになった。
自殺を願うんじゃなくて、逆に恐かった死を受け入れたという話です。
そしたら、地球で生きている間は、物質世界を楽しもうと思えた。
夢物語のようだけど、もともと魂だったわたしが地球に生まれてきた理由は、『わたし自身の思考の力で、望み通りの現実を引き寄せる』チャレンジをするためだったのよ。
魂のときは望めば即その通りになっているから、引き寄せのチャレンジも必要がなく、退屈っちゃ、退屈だから、贅沢にもわたしは抵抗となっている苦しみを味わいたくなったみたい。
だったら、『苦しみを味わえるのは地球で生きる今のうち!』と言える。
だけど、この苦しみが、望む現実を引き寄せずらい抵抗となっているから、いかに地球という物質世界にあっても苦しみを手放せるか、魂でいたときのように望みに抵抗をなくせるか、そして望む現実を引き寄せられるか。
そういうゲームがしたくて、わたしはワクワクして地球に生まれてきたんだとも思えた。
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