海に生まれ、育った魚は、外に出たことがない。
釣り人がいつも「海は広いな大きいな」と歌っているのを聞いて、魚は海を見たくなった。
釣り人が垂らす糸の辺りなら、海が見えるんじゃないかと、何となく近づいて、糸に噛みついてみた。
そしたら、釣り上げられた!
海が見えた!!
これが海かぁ・・・
はじめて高い所から海を見下ろし、空には白い雲が浮かんでいたり、ジェット機が飛んでいたりした。
魚は海というものがわかった。
けど、わかった瞬間、実は釣り上げられた状態が、とても苦しく辛いことに気が付いた。
言いかえると、魚は苦しくてはじめて海が見えた。
この釣り上げられた状態を、わたしたちは「災難」と呼ぶ。
(病気・事故・トラブルですね)
釣り上げた人のことを「神」と呼ぶ。
神様は、意地悪をしようと思って魚を釣り上げた訳じゃない。
魚が「海が見たい海が見たい」とずっと希望したから、その希望を100%の優しさで叶えてあげただけだった。
神様には、魚に奇跡でも起きない限り、海の外に出て海を見ることは不可能だとわかっているから、神の力で、外に出して、海を見せてあげたのです。
「幸せが見たい、幸せが見たい」と言っている人がいる。
幸せというものが、どこか外の世界にあるんだと思って、わたしたちは「欲しい欲しい」となっているから、神様は限りない優しさをもって「じゃあ見せてあげましょう」となって、釣り上げてくれるんです。
それで幸せが見えるんだけど、その瞬間に災難にあった状態に気づく、苦しくなる。
本当は、今わたしたちが生きているこの世界そのものが、幸なんです全部。幸の海なんです。
ただ、それに気が付かないだけなんです。
この話が構造論的にわかったら、海を見たい海を見たいと言わなくなりますよね。
そしたら、その瞬間から釣り上げられません。
神は、希望しなければ、海を見せようとは全然思わないから、その人は一生涯、釣り上げられません。
この話を聞いて「そうか、そういうことだったのか、海が見たいともう望まないぞ、わたしは海の中に住んでいたんだ」とわかった人は、
ハイ!今の瞬間から、病気と事故とトラブルには全く出会わないことになりました!!
最後に、この話を聞いて「そうか、わたしは海の中に住む魚だったのか。海の姿がわんなかったなぁ。海の姿を知りたい知りたいとずっと求めてきたなぁ。」と思う人は、今日までに釣り上げられなくて幸せだったんです。
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