わたしが、体調の悪いとき、3匹の犬のことが必ず背負い切れなくなるのは何故?
手放したくても、できない苦しみを、必ず感じるのは何故?
これまではこう思ってた。
わたしが入院したり死んでしまうと、犬たちが保健所で殺処分になるのが耐えられないからだって。
でも、それは違うって、昨日、直感で思った。
わたしは犬の殺処分が恐いんじゃなくて、『死』そのものが恐いのよ。
まず、わたし自身の死が恐いから、犬たちにもいずれ寿命がきて、わたしが一人で看取らなければならないことが恐くてたまらない。
犬の死を見たくないから、手放したくなるの。
でも、手放せないのは、本当はわたしが死の間際も傍にいて、恐くないよと支えてやりたいから。そうしなくちゃいけないと、わたしが思っているから。
死の恐怖を手放したい。
こんな話を聞いたことがある。
人は死を恐がるけど、スピリチャルな世界ではワクワクで生きられないことが一番恐いんだって。
人は生まれたとき「おめでとう」と祝福されるけど、死んだときも「お帰りなさい」と宇宙の意識に喜んでもらえる。
死を恐いと思うのは、それで終わり、何もなくなると勘違いしているからなのかもしれないね。
なんて思っていたら、隣人と仲良くできるチャンスが訪れた。
お庭越しに、2時間も、おしゃべり。
死の恐怖なんか、どこにもなくなってる。
大事なのは、こういうことなのね。
神様、ありがとう。
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