昨夜はグッショリと寝汗をかいて、コロナ感染の恐怖に怯えた。
3月にもそういう日があって、まだ幸せになる実験をはじめていない頃だったから、どっぷりと恐怖に浸った。
今は幸せなる実験をはじめているけど、昨夜は逆戻り。
こんなにも、わたしがコロナ感染を恐がるのは、基礎疾患があるから。重症化や死が恐い。
だからこそ、退院してからずっと『糖質制限』と『運動』で基礎疾患を治す努力をしてきて、糖尿病は3月の検診ではヘモグロビンA1Cが6,1%になり、数値上は糖尿病ではなくなったから、糖尿の薬も止めた。
でも、4月にはヘモグロビンA1Cが6,2%に悪くなった。たぶん運動をさぼりがちだったせいだ。
高血圧の方は、治す努力をしている真っ最中、なかなか結果が出ない。
ついついコロナ感染の恐れに負けて、「ママ助けて」「神様助けて」なんて崩れ落ちる。
そうなると、助けて欲しい現実を、もっともっと引き寄せてしまうと、頭ではわかっていても、このコロナ自粛で娘家族とも会えないし、地域の交流もないし、まるで大海原でたった一人漂流しているよう。
恐いよ。心細いよ。
湧き上がる恐れは止まらない。気が変になりそうなる。
こうなると、犬のことも苦しいだけ。
一体どうしたらいいの。
気が変になりそうだったけど、朝を迎えた。
わたしは生きていた。
曇りじゃなくて良かった。太陽の光が、穏やかな気持ちにしてくれたのがせめても救い。
朝一で犬の散歩を済ませ、庭の芝生の雑草を抜き、ごみを出し、家事仕事もいつもと変わりなくやれた。
洗濯物を畳みながら、亡くなった母からのメッセージが下りてきた。
大丈夫、〇〇ちゃんは1人じゃないよ。大丈夫だよ。
欲しかった優しさに包まれ、わたしは号泣し、息が詰まるような感動を覚えた。
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